塩田尚の月例訪問8月号
- つくば市議会議員 塩田尚
- 2023年8月22日
- 読了時間: 4分
ペリリュー島へ戦没者慰霊の旅に出かけて来ました。常陸大宮市の前市長三次真一郎氏から誘われたものです。三次氏は現職の頃、再三ペリリュー島を訪れており、コロナ禍で中断した後、今回は私人としての訪問になったとの事です。
パラオ共和国にあるペリリュー島では大東亜戦争(アメリカ軍は太平洋戦争と呼んでいます)の末期、最大の激戦地となった所で、日本軍守備隊約1万名の内、茨城県出身者が大半を占める水戸連隊が派遣され、約2千名が戦死しています。私はかねてからペリリュー島を訪問したいと思っていましたが、日本からの直行便も無く、ついぞその機会に恵まれませんでした。今夏、三次氏から打診があり、喜び勇んで参加させて頂いたのです。
先ずパラオに着いた当日、三次氏が旧知の日本人が経営するレストランへ行きましたが、そこに日本から来ている老婦人から声を掛けられ、一緒に食事をする事になりました。婦人曰く「広島から来た。私の祖父がこちらで戦死している。一度祖父が亡くなった島を訪れたいと思っていたが自分も高齢になり、生きている内にと、思い切って1人で訪れて来た。今日(7月8日。奇しくも安倍元総理の命日と同じです)が祖父の命日だ」との事です。私達が明日、ペリリュー島を訪問する事を話すと「ぜひご一緒させて下さい。個人での訪問は出来ないと観光会社から言われ、途方に暮れていたのです」との突然の申し出。これに三次さんも直ちに快諾し、婦人が「私の旅行費は負担させて頂きます」との申し入れもきっぱりお断りし、かくて女性が1人加わった慰霊の旅となったのです。
ペリリュー島に上陸して最初に向かったのが、港近くにある旧日本軍が山の中に作った約千人が立てこもった“千人洞窟”です。そこで記念写真を撮ろうとしたら。、三次氏が「俺はやめとく」と一緒に並んでくれないのです。常に無いかたくなな態度に違和感を持ちながらも同行の人にシャッターを押して貰うと、何と写真が写らないのです。確かにシャッター音は聞こえたのに、写っていないのです。三次氏にその事を話すと「この洞窟ではそういう事がよく起こるんだ。中には背後に戦没者の霊が写っていた場合もある。だから俺はここでは写真を一切撮らないようにしている」と教えてくれたのです。ゾワッとした気持ちで慰霊の行程を進めましたが、他の場所では三次さんも気持ち良く撮影に応じてくれ、写真も無事撮る事が出来ました。
ペリリュー島を案内してくれたガイド氏は日本人で、天皇皇后(現在の上皇陛下の事です)両陛下がペリリュー島を訪れた時にもご案内を勤めたとの事ですが、その折、ちょっとしたハプニングがあったとの事です。両陛下の強い要望で、予定にはなかったアメリカ軍戦没者の碑を急遽拝礼され、同行した人達は誰しも両陛下の博愛のお気持ちに、深い感動を覚えたとの事です。
さて両陛下が鎮魂の拝礼をなされた場所には、清楚なモニュメントが建っており、モニュメントの上部は雨水が溜まる様設計されておりました。これは最後には飲み水も無くなって餓死していった方々が、死んだ後、飲み水に困らないよう、ここに溜まった水を飲んで下さいとの思いを込めて創られたそうです。
ペリリュー州庁舎も訪れましたが、何と玄関前に『常陸大宮市消防本部』と大書された救急車が置かれています。また傍らには『常陸大宮市消防団』と書かれた消防車もありました。ロバート州知事が歓迎の挨拶で「三次氏が市長の時、贈って頂いた救急車は、ペリリュー島でたった1台しかないものです。特に私はドクター(医師)が本業ですので、本当に助かっています」と言われ同行した私達も鼻が高くなったものです。
今回のペリリュー島訪問に当り、私の盟友である横田美農夫氏(叔父さんが海軍中尉として西太平洋で戦死しています)より膨大な資料を頂きました。アメリカ軍のペリリュー攻撃が迫っていると知った日本軍守備隊は現地人、韓国人、台湾人、民間の日本人を島から逃がそうとします。その折、指揮官は「貴様達がいては戦いの邪魔だ。早く本島へ去れ」と命令します。命令を受けた人達は「これ迄献身的に日本軍に協力したのに、最後には邪魔者扱いをするのか」と憤慨します。しかしいざ港から避難船が出航すると、岸壁で多数の日本軍将兵が必死に軍帽を振り、「ありがとう!」と見送ったとの事です。避難する人達は日本軍の真の気持ちをようやく理解し、皆、感涙にむせんだとの事です。しかも避難する人達が勝手にペリリューに帰って来ないよう、軍で用意した船で送り届けたのです。
悲惨な戦争はもう二度としたくありません。その為には、我々もそれぞれの立場で、最大限の努力をし、私達の大事な家族や郷土や国家や国土を護らなければならないとの思いを強く持って、ペリリュー神社にお参りして来ました。
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