塩田尚の月例訪問10月号
- つくば市議会議員 塩田尚
- 2023年9月21日
- 読了時間: 2分
つくば市内で芝生産業を営む旧知のTさんが突如訪ねて来て「相談したい事がある」と真剣な面持ちで言うのです。何事かと身構えた私に語った内容は、おおむね以下の通りです。
「戦時中、我が家の裏には海軍さんの広い西筑波飛行場があった(地元では作岡飛行場と呼ぶ人もいます)。兵隊さんがよく遊びに来ていたが、特に広島出身の岡崎少尉と言う一番偉い人が、キリッとした軍服に身を包んで、親父の元へ訪ねて来ていた。すっかり仲良くなった岡崎さんから繰り返し歌を教えられた。その歌の事で相談に乗って欲しいのだ。忘れもしないその歌は、、、」
と言って、80年前に教わったという歌をTさんは口ずさむのでした。
―――1番、万朶の桜か 特攻隊
仇なす敵に近づきて、
決然起ちて神の国、
果たさん我等 神武隊
2番、御国が誇る新兵機
仇なす敵に近づきて、
一機一艦体当たり、
果たさん我等 神武隊
3番、父さん 母さん ありがとう、、、、
、、、後は忘れてしまったとの事です―――
終戦間近、ようやく整備を終えた最後の10機の戦闘機が、九州の特攻基地を目指して筑波飛行場を飛び立ったとの事です。小学生だったTさんは、学校の先生から「みんなでお見送りしましょう」と促され、全校生徒で特攻へと飛び立つ兵隊さんに手を振っとのですが、周りには特攻隊員の家族らしき人達も、最後のお別れに来ていたとの事です。Tさんが特に印象に残ったのは、特攻隊員全員が顔面蒼白で、極度の緊張状態である事が子供心にもひしひしと伝わって来たとの事です。
そこでTさんが相談に来た本題に入ります。
「特攻隊を見送って80年。俺も88才になった。当時100名余りいた同級生も今や30名余り、皆に特攻隊から教わった歌を尋ねたが、誰一人として覚えていない。この歌を知っているのは恐らく俺一人だろう。俺が死んだら、誰も知っている人が居なくなる。何らかの形でこの歌を残した方が良いだろうか。それとも現代の人達に悪い影響を与えるかも知れないから、俺一人で墓場まで持って行った方が良いだろうか?」
私の考えはこうです。
「身近に生々しい戦争の歴史があった、その生き証人としてぜひ後世に語り継ぐべきだと思います。何でしたら私も及ばずながらお手伝いさせて頂きますが。」
それでもTさんは結論を出す事をためらっておられました。しかし私に相談した事で、80年間胸にしまっていたわだかまりが、かなり晴れた様なすっきりした顔になったと私には思われました。
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