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塩田尚の月例訪問11月号

  • 執筆者の写真: つくば市議会議員 塩田尚
    つくば市議会議員 塩田尚
  • 2023年10月20日
  • 読了時間: 3分

 秋篠宮ご夫妻が9月にベトナムをご訪問されました。そのご様子については新聞初め、各メディアで報道されましたが、私が特に感動を覚えたのは、元ベトナム残留日本兵の2世・3世らとご面会なされた事です。先の大戦後、日本が敗れたにも関わらず、内地へ帰らずに現地に残った日本兵が居ます。彼らはベトナムがフランスの植民地から独立する時の独立戦争に義勇兵として参加し、主に軍事訓練や戦闘指導に従事したのでした。ベトナムだけで、約600人の日本兵が加わったとの事です。では彼らは終戦後、なぜ祖国日本へ帰還せず現地での独立戦争に参加したのか。

 独立戦争に自主的従軍した日本兵で、最も有名なのは「ムルデカ」と呼ばれるインドネシアの残留兵でしょう。インドネシアがオランダから独立する為に戦った映画「ムルデカ」を観た事がありますが、なぜ彼らがインドネシアに残って、その命を捧げたのか。それを説明する日本軍将校の言葉を今でも覚えています。

—――我々日本軍は、アジアを欧米列強の支配から解放すべく、この国へやって来た。アジアから欧米諸国を撤退させる事には一時成功したが、武運拙く日本は敗れ、すべての国が元の植民地に戻ってしまった。しかし我等はアジア解放の理想までは失っていない。例え国破れたりとは言え、我々には責任がある。この国に残って、生命を賭けて白人からの独立の為、戦います。―――

 インドネシアで「ムルデカ」として戦った日本人は約1400名。そのほとんどが独立戦争で戦死しています。その功績を祖国日本で称える人は、今は恐らく誰もいないでしょう。

 さてベトナム。ベトナム独立戦争に義勇軍として参加した彼らは、「新たなベトナム人」と呼ばれ、べトナム建国の英雄として崇拝され、現地で家族を持った人もいました。

ところが一転して厄介者扱いされるようになります。彼らが参加したベトミン(ベトナム独立同盟)が共産主義化して行き、彼らの存在がソ連や中国の手前、まずくなったのです。苦悩したベトナム政府は、彼らを祖国日本へ“強制送還”したのです。それで現地の家族と離れ離れになるという悲劇が起ったのです。

 その残された家族と遺児達と、秋篠宮様は今回のご訪問で面会されたのです。残された人達にとって、日本は父の祖国であり、父が送り還された国でもあります。「日本は父の国だから、永遠のあこがれ。一度でいいから行ってみたい」「父が帰国して新たに作った家族の皆さん、義理の母や兄弟に会いに行きたい。父の国にぜひ行きたい」との悲痛な訴えが相次いだそうです。

 この人達の期待に応えるには“誇らしき父の国”と思い描いたその夢を日本が打ち破ってはいけません。つまり現代に生きる日本人が、堂々とアジアの模範となるべきでしょう。その為私も、自らの立場で最善の努力をして参ります。

 
 
 

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