塩田尚の月例訪問3月号
- つくば市議会議員 塩田尚
- 2021年3月4日
- 読了時間: 3分
産経新聞に重量挙げで東京オリンピック金メダル第一号をもたらし、当時の国民を熱狂させた三宅義信さんの自叙伝が連載されました。貧しい(と言ってもあの頃は日本国中皆貧しかったのです!)生活の中で小さい頃からアルバイトをして家計を助け、ついにはオリンピックで金メダルを掲げる苦労と栄光の人生物語です。
さて、三宅義信氏には私、特別の思い入れがあります。と言うのは、私の親しい友人である三宅敏博君の伯父さんだからです。三宅敏博君は、10年前、幹部自衛官として霞ヶ関駐屯地に赴任して来た時に知り合い、彼のアスリート魂にほれ込み、自衛隊を退官して、東京国際大学重量挙げのコーチに就任してからも、折に触れて連絡を取り合っております。もちろん義信氏自叙伝の感想も敏博君に伝えました。敏博君のお父さんはオリンピック銅メダリストの義行さん。そして妹が、銀と銅メダルを持っている宏美ちゃんです。
さて義信氏の話ですが、生まれながらの天賦の才能があったようです。しかし、彼は努力でものの見事にその才能を開花させたのです。しかも小学生の頃からアルバイトしながら苦学の連続です。重量挙げで世界一になろうと法政大学へ進学しますが、大学は受かったものの入学金も有りません。必死でアルバイトをして、最期はすでに社会人なっていたお兄さんに助けて貰うのです。今や高齢になったお兄さんへ、今でも感謝の気持ちを持ち続けているとの事です。だから、彼は弟を大事にし、育てようとした。つまり義行氏をあらゆる面で補佐し続け、ついに兄弟揃ってオリンピックの表彰台に上ったのですから。
ところで東京の後のメキシコオリンピックに兄弟で出場した時の面白いエピソードが書かれていました。お母さんから義信氏が「お前はオリンピックですでに金メダルを取っているのだから、今回は義行に譲ってやってくれ」と言われ、弟がかわいそうの余り、試合では相当のプレッシャーになったそうです。ところがそのお母さん、弟の義行氏には「お前はまだ若い。これから先、いくらでもでも金メダルを取れるチャンスはある。だから今回は義信に譲ってやってくれ」と言っていたのが、後でわかります。兄弟揃って、変なプレッシャーを感じながら、結果は兄が金メダル、弟が銅メダルと言う快挙を成し遂げたのでした。この母にしてこの兄弟あり、です。素晴らしい三宅家の団結力を知り、だから私も敏博氏にほれ込んだのかと今更ながらに納得出来ました。義信氏の自叙伝の中で私が最も気に入った言葉があります。「あらゆる出来事は未来の為にあるんですね」。氏が減量に失敗してアジア大会に出場出来なかった時の事を思い起こしている場面です。私はこの言葉にしびれるような勇気を貰いました。私の人生は失敗だらけで過ごして来ましたが、それがこれからの人生に役立つのではと、奮い立ったのです。失敗が多い私の経験を、市民の皆様の為に役立てたいと思いを新たにしたのです。
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