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塩田尚の月例訪問5月

  • 執筆者の写真: つくば市議会議員 塩田尚
    つくば市議会議員 塩田尚
  • 2024年8月28日
  • 読了時間: 3分

 小さい頃家族で食卓を囲んでいる時、父はいつも気難しい顔をして食事をしていたのを思い出します。当時の塩田家は10人を超える大家族で、一同に会して食事をする程、我が家の茶の間は広くも無く、替りばんこに食事をするのが常でした。しかし父は明治生まれで、食事中に会話をするのは良しとせず、今思えば非常に堅苦しい生活だったかも知れません。ただ世帯を持っていた長兄だけが、仕事を終えてから晩酌を始め、酒を飲むと愉快な話をいっぱいしてくれるのです。それが楽しみで、その頃を見計らって私は食卓のそばに座るのです。

 父はなぜかいつも気難しい顔をして食事をしていたのだろうと時々思い出すのですが、最近ハッと気付いた事があります。何と今や私自身が気難しい顔をして食事をしているではありませんか!その原因は考え事をしているからなのです。

 子供達が小さかった頃は、昼間、子供達に会えない分、夕食の時など出来る限り会話をしたり、子供達の様子を眺めていたりしたものですが、みんな巣立ってしまって女房殿と2人きりの生活になると、食事の時などは、あれこれと話しかけてくる女房殿の話にただうなずくのみで、頭の中の半分は、きょう一日の事を思い出したり、明日やらなければならない事の段取りを考えたり、市民の皆様から寄せられた要望をどのように扱えば良いかなど、思いを巡らせているのです。そこで突然気が付いた事は、亡き父と同様、自分自身気難しい顔になってしまったなとの自戒です。つまり父の表情の謎も解けました。

 父は商売人ではありましたが、民生委員を永く勤め、地域の人々に慕われておりました。また寺総代や神社の氏子総代なども熱心に勤めていた記憶があります。 

 コロナ禍になる前の事です。私の生れ故郷、四国中央市にある三島神社の秋の例祭に出かけた事があります。一般参詣者として参っただけなのですが、偶然、社前で宮司さんと話をする機会があったのです。私が名前を名乗ると「もしかして塩田庄作さんのお身内の方ですか?」と宮司さんが驚いています。私が息子だと答えると「あなたのお父上には、当神社が本当に苦しい時に助けて頂いたのです。深く感謝しています。」と言うではありませんか。そういう事は何も教えて貰っていない私は、ただポカンとするばかりです。でも父の残した足跡を見つけた様で、誇らしくもあり、嬉しくもありました。昔の人は、自分のした事を家族にも自慢しなかったのですね。他にも同様の事が多々ありました。「あなたのお父さんは人の為に尽くした」とか「私が辛く苦しい時に助けて頂いた」などです。そう言えば父がくどく私に教え諭した言葉があります。『世の為人の為に尽くせ!』。それは私が成人する迄、くどく言われましたので、父が自らをそのように律して来たから口癖になったのでしょう。

 さて私は、、、と言うと、その教えを貫こうとの気持ちはあるのですが、果たして父に近づけたかどうか、自信はありません。天国からじっとみている父に叱られないよう、少しでも近付ける様、努力をするだけです。

 
 
 

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