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塩田尚の月例訪問6月号

  • 執筆者の写真: つくば市議会議員 塩田尚
    つくば市議会議員 塩田尚
  • 2021年6月22日
  • 読了時間: 3分

 女房が手作りドーナツを揚げました。孫達のおやつにとの思いからでしょうが、時々作っているのです。その事は何となくわかっていましたが、私は甘いものが苦手で、ほとんど食しませんでした。「ああ、作っているな」位で、あまり興味も有りませんでした。ところが先日、目の前に置かれた出来立てのドーナツを見ていると、なぜかひとつ食べてみたい気になったのです。そのドーナツは市販のような真ん丸ではなく一個一個、すべて形が違うのです。まるで奇抜な芸術作品のようだと思いながら味わってみたのですが、期待した程には、決して甘くないのです。「あ、これなら俺でも食べられるな」と内心つぶやきながらモシャモシャ。それは素朴で妙に懐かしい味なのです。「あれ、どこかで食べた事あるな」と気が付き、更にもう一個。そこで気が付いたのです。これは私が幼い頃、母親が作ってくれたドーナツとそっくりの味だと。

 私が育った頃は、戦中戦後の極貧の時代は過ぎていましたが、まだみんなが貧しかった。小さい子供達は、おいしい物を腹いっぱい食べてみたいと誰もが思っていました。そんな時、おふくろが私達のおやつにとドーナツを良く作ってくれたものでした。決して甘くは無い、まるでコッペパンのようなドーナツでしたが、それでも幼かった私にはごちそうでした。

 ところが、小学生位になると、お店で売っている甘~いドーナツが欲しくて、おふくろのドーナツにはもう感動しなくなってしまいました。そんな時、遊び仲間の近所の兄弟(お母さんを早く亡くして、父親と兄弟4人で必死に生活している家庭でした)に、「良かったら食べてくれない?」とおふくろドーナツを渡したところ、アッという間に平らげてくれたのでした。

 今から60年以上も前の思い出です。すっかり記憶から消えていた出来事を、女房殿のドーナツを食べている内に、にわかに思い出したのです。恐らく私が近所の兄弟にドーナツをあげているのを察していたのではないかと、今になって思います。でもお袋は何も言わず、少し多めのドーナツをそれからも黙々と作ってくれました。

 あの頃、皆んな貧しかった。でも皆んな仲良かった。お互いに助け合わなければ生きていけないと、皆んな思っていた。

 ところが今回のコロナ禍ではどうでしょうか。罹患した人や濃厚接触者が悪者扱いされてしまいます。懸命に勤めてくれている看護士さんとか医療従事者も冷たい目で見られ、その子供達が学校でいじめに遭っているという報道もあります。どう考えても今の日本はおかしい。国会ですら、議員達がお互いにアラ探しばかりをしています。国難とも言える新型コロナ。なぜ皆が力を併せて乗り越えようと努力しないのか。私は今後の日本人のあるべき姿が、今、コロナによって試されているように思えてなりません。

 
 
 

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