月例訪問7月号
- つくば市議会議員 塩田尚
- 2022年7月22日
- 読了時間: 3分
女優の村松英子さんとお会いする機会が出来ました。岩浅先生のご紹介です。実は2年以上前から「三島由紀夫さんと極めて関わりの深い村松英子さんを紹介するよ」と言われていたのですが、コロナのせいで延び延びになり、ようやく実現の運びとなったのでした。当日は娘さんの女優村松えりさんもお連れ頂きましたが、さすが現役の女優さんだけあって、滝川クリステル似の美人でした。しかも常に控え目で、お母さんを気遣いながらも、私達の会話にも気持ちよく接してくれたのでした。
さて村松英子さんですが、私としては三島由紀夫先生の葬儀の時、弔辞を読んで頂いた姿が50年余を過ぎた今でも鮮やかに脳裡に残っています。涙ながらの弔辞はマスコミでも大きく報じられ、「村松英子は実は三島由紀夫の愛人ではないか?」との噂がまことしやかに飛び交ったものでした。私自身もひとつの疑念を抱いておりました。高名な女優ゆえに、弔辞を演ずる事はできない事は無いと思ったのです。今回はその真実を本人の口から聞きたかったのですが、質問するのは余りにも失礼だと案じておりましたら、村松英子さんが自ら語り始めたのです。
舞台俳優の駆け出しで大部屋にいた頃、いきなり三島先生が尋ねてきた事。三島先生の親友村松剛(高名な文芸評論家です)の妹が俳優を目指すとの事なので、様子を見に来たらしい事。無事、三島先生のおめがねにかなって、三島作品の舞台や映画で、主役級で次から次へと抜擢された事。三島先生はいつも朗らかで優しく、例え論敵であっても、紳士的に接した事。そして衝撃の事実が明らかにされました。ノーベル文学賞です。川端康成さんから「ノーベル賞を譲ってくれ」と頼まれ、恩師でもある川端さんの頼みを断れず「いいですよ」と返事をし、実際にそのように選考委員の方々に働きかけた事。
そしていよいよ“弔辞”の事が明らかになります。平岡家(三島先生の本名です)から弔辞を頼まれたが、村松さん本人は強く固辞したのだそうです。文学界のみならず各界からそうそうたる著名人が集まる、そこで一介の俳優が弔辞を読むなど、とても恥ずかしくて出来ない、と。ところが三島夫人から強く説得され、引き受けるざるを得なくなった事。式の当日は緊張の余り、控室で青い顔で座っていたら、西武百貨店の堤清二社長からポンと肩を叩かれ、「英子ちゃん、泣きたければ泣いてもいいんだよ」と声を掛けられた事。それで緊張が一気に緩み、本番の弔辞は“地”でやってしまった事。
別れ際に村松英子さんから「兄の剛は筑波大の教授もしておりましたし、義弟の南日康夫は確か江崎さんの片腕として副学長を勤めた筈よ。つくばは村松家にとって、とってもゆかりのある土地なの。またお会いしましょう」。
私の胸にわだかまっていた50年来の謎が解けました。岩浅先生に感謝です。
Comments