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塩田尚の月例訪問12月号

  • 執筆者の写真: つくば市議会議員 塩田尚
    つくば市議会議員 塩田尚
  • 2023年1月20日
  • 読了時間: 3分

 東京のミニシアター「岩波ホール」が閉館したとの事です。岩波ホールは余りにも有名ですので、私もその存在はよく知っていましたが、さて映画好きの私が何度行ったかと振り返ってみると、その記憶が無いのです。学生時代は映画代がもったいなくて、映画を観るくらいなら本を買った方がいいと思っていましたから、好きではあるけれども、わざわざ岩波ホール迄は足を運ばなかったのかも知れません。岩波ホールはいわゆる『名画座』です。流行りの興行収入が見込める映画には目もくれないで、ひたすら世界から名画を厳選して、文化の発信に努めて来たのです。

 実はつくばにもかつては岩波ホールのような名画座がありました。旧西武百貨店の6階にあったミニシアターです。その頃、つくばには映画館がひとつも無く、たった一館だけの西武デパートに私も足繫く通ったものです。観た映画の内容はことごとく忘れてしまいましたが、今でも印象に残る美しいシーンが、脳裡によみがえって来ます。ミニシアターの館長は、当時まだ若い西武百貨店の社員で、仲良くなった私は、よく観た映画の感想を話したり、映画談義に花が咲いたものです。

 しかし、時代の流れか、徐々に流行映画へと方針転換をし、やがて閉館してしまいました。その後は、皆様もご存じの通り、西武百貨店そのものが撤退してしまったのです。つくばのシンボルの一つであった西武百貨店の撤退は、特に開店当初から慣れ親しんで来た私達の世代から見れば、この上も無く淋しいものでした。百貨店と言うブランドが欲しかった訳ではありません。つくばに確固たる文化を植え付けてくれた“文化施設”を失った事に対する未練なのです。

 当時の谷田部町で開かれた科学万博を、まるで祝福するかのように西武百貨店はオープンしました。この頃は商業圏は圧倒的に土浦市が県南ナンバーワンだったのですが、西武の開館と同時に、人の流れが変わって来ます。県南はおろか、茨城県の至る所から、つくばへと人が押し寄せるようになったのです。茨城県民から見れば、つくばはそれこそ“都会”であり、“未来都市”であったのでしょう。私達はその事を誇りに思い、文化芸術のリーダーたらんと目指したものです。例えばつくば駅前のクレオ。世界的な建築家、磯崎新氏が設計し、街そのものが芸術作品と称賛されて来ました。しかし次第につくばに集う人達は、文化を求めるよりも生活の利便性を求めるようになりました。より速くより便利に過せるAI時代の先駆者となったつくばの宿命でしょうか。

 それでも私はつくばらしい文化・芸術・伝統を目指したいと思っています。なぜなら情感豊かな教養は、人工知能が与えてくれるものではないからです。人が共生する上で、道徳心がいかに大事かを、これからも訴え続けるつもりです。

 
 
 

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